夫も私よりもペットを可愛がる妻

ペットをかわいがる妻

私は愛媛県に住み、そこで細々と農業を営みながら暮らしています。先祖代々この土地に生き、私もそれに倣ってここで生きることを選択。今年で齢70歳を数えます。
長年連れ添った夫もいましたが5年前に他界し、現在は息子夫婦と同居しています。母親である私が言うのもあれなのですが、息子は小さいころから非常に「よく出来た子供」で、成人してからもいわゆる一流企業に就職。私の自慢の子供として、ご近所にも胸を張っていられるような息子だったのです。
しかし、誰にも「欠点」があるように、私の息子にも一つ大きな問題がありました。それは、どうしようもなく「女運が悪い」ということ。学生時代から、妙に思いつめる同級生の女の子に付きまとわれたり、成人してからもほとんど面識の無い女性に一方的に思いを寄せられ、警察沙汰になったころすらあるのです。
そんな女性運の無い子供の「結婚相手」は、果たして一体どのような方になるのかと心配していましたが、案の定というか、やはりというか、彼のこれまでの被害状況に相応しい女性を妻としてしまったのです。

この女性は最初こそマトモな風に見えたのですが、嫁入りして1年もすると段々とおかしな素振りが見え始めました。息子夫婦はペットとして子犬を飼っていたのですが、この嫁の可愛がりようは異常なのです。
ワイドショー風に言うと、「戦慄!夫も私よりもペットを可愛がる妻!」などという紹介の仕方になるのでしょうか。とにかく家族の誰の事よりもペットが優先。例えば「ご飯」も、夫や私も食事を作るより先に、犬に手作りのものを与え、それをニコニコ笑って見つめているのです。
ペットに現を抜かすなら、子供でも作ればいいのにと思うのですが、夫婦間のことに母親が口を出すのも憚られ、毎日憂鬱な日々を送っているのです。

そのせいかどうか分かりませんが、ストレスがたたって頭痛に悩まされるようになりました。最近では犬の鳴き声を聞くと頭が痛くなってしまいます。ですが、夫に教えてもらった、ズキズキが絶えない…つらい頭痛を和らげるコツを試してみたらびっくりするくらい頭痛の悩みから解消されたのです。

■参考リンク
http://www.toyamah.johas.go.jp/specialtyoutpatient/headache
http://www.pref.aichi.jp/soshiki/eisei/0000067314.html

「怒らないから正直に言え」といわれて怒られなかったことはない

怒られる

かつてアメリカの初代大統領であったジョージワシントンには、自宅にあった桜の木をイタズラで切ってしまったことを父親に正直に話すと、そのことについて怒られるどころかむしろ褒められたという非常に道徳のお手本になりそうな逸話が残されています。

しかし、現実問題としてはジョージワシントンのような綺麗事がまかり通るものではないと考えていいでしょう。このワシントンの逸話そのものが本当かどうか疑わしいと言われているくらいですからね。私の経験上、人生の中で「怒らないから正直に言え」といわれて怒られなかったことはまずないですから、ワシントンのように正直に言ってしまうほうが、逆に自分の損になることばかりだと思います。

例えば子供の頃のイタズラなんかでも、誰がやったのかと聞かれて自分だと答えたら父親から烈火の如く怒られた記憶がありますし、学校でも社会に出てからでもちょっとした失敗やミスを先生や上司から「怒らないから」と前置きをされても正直に話すと確実に怒られてきました。

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そう考えると「怒らないから正直に言え」という一言そのものが、全くの嘘であることがわかります。ですから、今はこの言葉を全く信用していません。どれだけ怒らないからと言われても、自分に不利益になるようなことであれば話すことはありませんし、このような言葉を発する人間はすでにその時点で信用しないようにしています。

これから育っていく子供たちや、未だに純粋さを持って日常を生きている人には、「怒らないから」という人ほど怒るし、そのような前置きをされるほど怒られる可能性が高いことを伝えたいですね。そして、その耳当たりの良い言葉に騙されて損をしないようにしてもらいたいと思っています。きっとこの世の中はジョージワシントンの逸話のように、正直に言っただけでは丸く収まらないようにできていますので、冒頭で述べた逸話のことも一切信用しないようにして欲しいものです。

近頃の子どもの命名に思うこと

幼稚園の運動会(かけっこ)

「悪魔くん騒動」と聞いて、あーそういえばそんなこともあったねとなる人は、そろそろ子供がいてもおかしくない年代の人だろう。自分に子供が産まれて命名するとき、「自分がつけた名前とともに、この子は一生を生きていくんだな」と思うと、普通なら気持ちが引き締まる。子供への命名は即ち子供への思いそのものだからだ。この名前だからいいとか悪いとかではなく、その名前をつけた思いは必ずその後の子育てにもつながる。例え周囲の人から、「そんなおかしな名前」とか「キラキラネーム」とか揶揄されるような名前をつけたのだとしても、その思いが真剣で、かつその後その子を大切に育て慈しみ、幸せに育てたとしたならば、その名前は‘いい名前’になるんだと思う。逆に周囲から「素敵な名前だね」と言われるような名前を付けたとしても、その子への思いよりも自分のセンスを優先し、それがその後の子育てにも表れてその子の気持ちが邪険に扱われるようであれば、それは‘いい名前’とは言えないのかもしれない。

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まあ、どんなに思いがこもっていても、「あなる」とか「らぶほ」とかは、もうちょっとよく考えてあげたほうがよかったんじゃ…と思ってしまうけれど。

我が家の子供たちの名前はそれほど変わった名前ではないけれど、よくある名前でもない。クラスに何人もいる名前だと面倒なことが多そうだから避けたいけれど、あまり奇をてらった名前をつけたくはなかったので、その辺は気を付けたつもりだ。だけどそれでも私の両親には、「そんな名前つけて…」と言われてしまった。周りにどう思われようと、自分たちの思いがこもった名前なんだから、と思いつつも、やはり否定されるのは悲しかった。いつか孫が産まれて、子供たちが命名したら、「素敵な名前だね」と言ってあげよう。でもその頃には私もくそババアになっていて、「そんな名前つけて…」とか何とか言ってしまうのかもしれないけれど。

私の理想の老後生活

理想の老後

年齢30歳で独身。東京都内の中小企業で働いている私は、そんなプロフィールを持っています。友人たちでも早い子は大学卒業と同時に彼氏を捕まえ、「結婚」という名前の人生の墓場に連れ込み、そこで「幸せ」と書かれたレッテルを周囲に張ってもらって嬉しそうに暮らしています。
一方私はと言えば、三年間付き合った彼氏と最近別れ、現在は「結婚?何それ食べられるの?」とヒネクレタ答えを返すような生活を送っています。何でも別れた彼曰くは、「お前が家庭に入って、大人しく主婦をやってくれる姿がどうしても想像出来ない」とのことで、別れて欲しいと懇願されました。
どうやら私は、根本的に「結婚」という、世間様が「幸せ」と同意義で使うこの言葉と縁遠い星の巡りの元に生まれたようです。

思い返してみると、私がこんなになってしまう原因はすぐ身近にありました。私の父と母は非常に仲が悪くて顔を見るごとにいつもケンカしており、その火の粉が何かと身に降りかかる生活をしていたのです。
そして小学校高学年のころには、自分の老後について、「誰かに看取ってもらわなくてもいいから、代わりに誰にも迷惑を掛けず、静かに消えていくように暮らせる生活がしたい」などと、夢も希望も無いことを目標としたのです。
そんな目標を立てた女が、その後どんな人生を歩んでいくかなんて、誰にでも想像出来ます。私は、自分の周辺に誰も信用出来る人間がいないという、とても静かで寂しい世界に生きることとなったのです。

私の父はあがり症の話し好き

私の父

私の父はちょっと変わった性格をしています。それは、あがり症なのに話好きという、ある意味でパラドクスなような性格です。普通あがり症の人は人前でそれほど話さないものですし、逆に話好きの人であればあがり症の傾向ではありません。そんな世の中の定理みたいなものを無視している父親は、本当に変わっている存在だなと、子供の自分ですら思ってしまうほどです。

そんな父親のエピソードを一つご紹介しましょう。母親が近所の奥様達と井戸端会議で話している時、たまたま仕事が早く終わった父親が帰宅してきました。あがり症ですから、それほど面識のない近所の奥様達を目前にして話しかけようかどうしようか一瞬迷いながらも、結局話しかけていったということがありました。その様子を母親をはじめ、近所の奥様達も目にしていたことから、「おたくのご主人、性格が可愛らしい人ですね。」だなんてその井戸端会議で一瞬だけ話題になってしまったそうです。母親としては赤っ恥だったらしく、井戸端会議が終わった後のリビングで、父親に余計な挨拶や話しかける行為はいらないからと注意していたのが印象的でした。

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そんなエピソードのある父親ですから、仕事先でもプライベートの外出先でもこんな感じで、あがるにもかかわらず人に話しかけようとしているのだと思います。子供の私としては、コミュニケーションを積極的に取ろうとしている父親の姿は素晴らしいと思いますし、あがり症なのも人間だから当然そういう心理的傾向はあるというスタンスで見ていますので、基本的に父親に対しては受容的です。

あがり症は生まれつきのものですから、父の年齢になっても直らないのであれば一生このままの性格でしょう。ですから、これから先もずっと父親はあがり症の話し好きのままで、人一倍、人と接触することに対して緊張感を持ちながらも、それとは裏腹にいろいろな人に話しかけることを続けていくのではないかと思います。